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この現実は幻想?我々の住む世界は悪の天才によってコントロールされたシミュレーションであるかもしれない(哲学者)
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 いよいよ中2っぽいタイトルとなってきたが、これはノートルダムオーストラリア大学で、哲学者であり上級講師のラウラ・D・オリンピオが講演したものである。



 今、我々がいる場所は我々が考えているような場所ではなく、我々は悪の天才によって実施されている科学実験の被験者にすぎない。というものだ。

我々の脳は既に摘出されており、日常生活を送っている錯覚を見せられているとしたら?



 例えば我々の脳が体から丁寧に摘出されたとしよう。脳は水槽の養液に浸され、実験室の中で生きている。脳の神経の末端はスーパーコンピューターに接続され、日常生活を送っているかのような感覚を起こす刺激が与えられている。そうやって我々はごく当たり前の日々を生きていると思い込んでいるのだ。



 それでも我々は存在していると言えるのだろうか? それどころか、我々は未だに我々なのだろうか? 我々が知っている世界は、実は科学者によって作り出された幻影ではないのか?



 まるで悪夢のような話だ。だが、これがまったくの嘘っぱちであると否定することができるだろうか? 脳が水槽の中にないということを証明することができるだろうか?



我々が「水槽の脳」でないことを証明できるのか?



 ヒラリー・パトナムという哲学者は、1981年に著書『理性・真理・歴史』の中でこの水槽の脳について思考実験を行っている。だが、その大元はフランスの哲学者ルネ・デカルトが1641年『省察』で述べた悪霊という概念にある。



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 哲学者たちはこの概念を利用して、私たちが真実だと絶対的に確信できる考えがどのようなもので、その結果自分たちやその周囲にある世界についてどういった知識を持つものか考察した。



 デカルトは、そのためにもっとも良い方法はあらゆる物事を疑い、そこから知識を構築することだと考えた。この懐疑的アプローチによって、絶対的に確かなことの核にあるものだけが唯一知識の信頼のおける基礎になると主張した。彼はこう説いた。「あなたが真実を本当に求めるのならば、人生において少なくとも1度はあらゆる物事をできる限り疑うことが必要である」と。



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フランスの哲学者ルネ・デカルト



 今目が覚めており、夢を見ているのではないといかにすれば確信できるか? かくなる哲学者に好まれる古典的で懐疑的な問いはデカルトに端を発している。



 私たちが想定している知識を試すために、デカルトはさらに全能者、すなわち私たちを騙して本来の姿とはまるで異なる現実に生きていると錯覚させている悪魔が存在すると想像した。



水槽の脳とポップカルチャー



 水槽の脳という思考実験や懐疑主義の挑戦はポップカルチャーにも取り入れられた。もっとも有名な事例は、1999年の映画『マトリックス』と2010年の『インセプション』だろう。



 この思考実験の映画版で観衆は仮想の世界に入り込み、哲学的概念を探索するよう仕向けられる。例えばマトリックスでは、主人公ネオが日常世界はコンピューターでシミュレートされた世界であり、本当の体は生命維持装置で生かされていることに気がつく。



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我思う、ゆえに我あり



 私たちが外側の世界について確証を得ることはできないとしても、デカルトはかすかだが希望を持って第二の省察を行っている。少なくとも自分自身の存在については確信できるということだ。疑いを抱いているときは、必ず疑っている”私”がいなければならないからだ。これが有名なコギト・エルゴ・スム、「我思う、ゆえに我あり」である。



 そう、確かにあなたの脳は水槽の中に入っており、世界の経験は悪の天才によってプログラムされたコンピューターシミュレーションなのかもしれない。だが、少なくともあなたは考えている。



現実が幻想であると証明するテスト



 宇宙は私たちが見ることなしに存在しえない。これは有名な量子論が説くものだ。昨年、ある粒子の過去の振る舞いは私たちが見たものに応じて変化するという話が、原子の大きさでは本当であると確かめられた。



 量子論によれば、”そこにある世界”と私たち自身の主観的意識の境界は曖昧になる。原子(光の粒子)を見たとき、そこ見えるものは実験の設定に依存するのだ。

 

 これを確かめるために、オーストラリア国立大学の研究チームがジョン・ホイーラーの遅延選択思考実験と呼ばれるものを実験してみた。この実験は、粒子あるいは波のいずれとして振る舞うか選択できる動く物体を利用する。そして、その選択がいつなされたのか問うのだ。



 常識的には粒子状であるか、波状であるかは観測方法とはまったく関係がないように思うだろう。しかし量子論によれば、どちらを観測するかはその最後になって決まる。



 研究チームが確かめたこともそれだった。観察こそがすべてであり、量子レベルにおいて現実は見てみるまで存在しないことが証明された。


 そういえば日本の漫画にも似たような設定のものがあったよね。銃夢は思い出せたんだけど、他にもあったはずなんだ。あ~思い出せなくてもやもやする。



 研究所で無数の墓みたいなのを管理してて、何かが見えると所長になって、所長はクローンの秘密を守っててみたいなやつ。

☆深く考えると、寝れんようになる!

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